矢野和彦・早稲田大学教授へのインタヴュー 1/2
第1回 BIS誕生の歴史的背景
『国際決済銀行の20世紀』(2010年)が弊社・蒼天社出版から刊行されてから16年が経ちました。この間の変化もふまえて、著者・矢後和彦氏に伺います。以下のインタビューでは、本書の内容はもとより、本書の執筆にかけた想い、また本書の刊行後にあらわれた変化などについてもお話しいただきます。
はじめに、国際決済銀行とはどんな銀行でしょうか?
矢後――国際決済銀行(Bank for International Settlements、略称 BIS)は、1930年に創設された国際銀行です。これは現存する世界で最古の国際金融機関です。当初は第一次大戦後のドイツ賠償問題を扱うために設立された銀行でしたが、創設直後に勃発した世界大不況の欧州への拡がりを受けて、中央銀行間協力のフォーラムとして機能を拡充させました。第二次大戦後は、1950年代に欧州域内決済の担い手、1960年代にはドル危機に際しての金プールの調整役、というようにその役割を拡げていきました。現在は、バーゼル銀行監督委員会をホストして、国際的な銀行監督のプラットフォームとなっています。スイスのバーゼルに本店を置く株式銀行という形をとっています。
国際的銀行監督のなかで「BIS規制」という言葉を聞くことがありますが、これはBISとはどのような関係にあるのでしょうか?
矢後――銀行の自己資本比率などを規制するフォーラムであるバーゼル銀行監督委員会は、各国中央銀行・財務当局等が参加する枠組みであり、本来はBISとは別の組織です。BISはこのバーゼル銀行監督委員会を補佐し、事務局機能をホストしています。ただし「ホスト」とはいっても場所を貸しているだけではなく、BISが中央銀行のネットワークで収集した情報を提供し、銀行監督のあり方に重要な示唆を与えています。
バーゼル銀行監督委員会とBISの関係は、本書のなかで「黒衣」という言葉で表現されている中央銀行と事務局の関係に重なりますね!
矢後――そうなんです。法制度からいえば、BISの意思決定は各国中央銀行の代表が行い、事務局はそれを補佐するだけ、ということになります。現代のバーゼル銀行監督委員会とBISの関係も、意思決定と事務機能、という具合に簡単に整理することは可能です。しかし、史料から浮かびあがる歴史の現実は違います。第一次大戦後の各国から集められた俊秀が事務局を構成し、野心にあふれて新しい時代の中央銀行間協力を築こうとした、彼ら若い事務局の幹部は、中央銀行代表の会議――『国際決済銀行の20世紀』の表紙に写真が出ています――に時として対抗しながらも、独自の構想を打ち出しました。まさに「黒衣」として、公式・非公式に影響力を駆使しようとしたのです。
本書はペール・ヤコブソンという人物の歩みに沿ってBISの歴史が展開します。この構成にも独特なこだわりがあるのでしょうか?
矢後――ペール・ヤコブソン(1894〜1963年)は、スウェーデン出身のエコノミストで国際連盟の職員やスウェーデンのマッチ製造会社・クルーゲル=トール社勤務を経て1931年にBISに就職します。その後、BISの枢要な部署である金融経済局の局長、経済顧問を経て、1956年にはIMF専務理事に転出し、1963年に亡くなるまでその地位にありました。
本書では示唆にとどめていますが、ヤコブソンや同時代のBIS事務局の幹部たちは、実は当時の中央銀行のネットワークのなかでは傍流にいた人たちなんです。のちに国際金融界の大御所にのぼりつめるヤコブソンも、たしかにスウェーデン経済学の薫陶を受けた秀才でしたが、そもそもどうしてBISに就職したのかすらわかっていないのです。BIS初代総支配人のピエール・ケネー(1895〜1937年)も、当時から著名でしたが、本国での出世競争に敗れてBISに活路を見出した人物でした。こうした陰影を纏った人物たちが、第一次大戦後の国際社会で――当時はもちろん「第二次」大戦が起こるとは思っていませんので、これで平和な新しい世の中が訪れたと思っていた人たちですが――金融上のユートピア思想に突き動かされて作っていったのがBISでした。もちろん、彼らのユートピア主義は世界恐慌から大戦へとなだれ込んでいく時代の波に呑まれていくのですが、本書ではいわゆる銀行史とはちょっと違ってこうした人物のドラマにも光をあてることを試みました。
あたらしい金融思想、金融のユートピアといえば、同時代のケインズが思い浮かびますが、BISとケインズ主義との関係はどうでしょうか?
矢後――ここは重要なポイントです。さきにふれたヤコブソンは終生、ケインズと対決した新自由主義者でした。ここでいう新自由主義とは、ヤコブソンに影響を与えたジャック・リュエフ(1897〜1978年)というフランスの経済官僚・思想家が体現した思想であり、のちのアメリカ流の新自由主義とは異なります(本書199〜200頁)。市場メカニズムへの信頼、「金」への独特なこだわりなど、BISの政策思想もケインズ主義と対極にある新自由主義に立脚していました。こうしたBISの初期の経済思想は、第二次大戦後にも、アメリカとは異なる国際金融秩序を求めるBISの政策につながります。
BISの歴史を見るうえで、第二次大戦中の対独協力の問題は避けて通れないところですね!
矢後――そうです。BISは第二次大戦中に、ナチスがユダヤ系の人々から強奪した金を金地金に換えたものを預金として受け入れていました。戦後になって、ユダヤ系団体からこの金の返還と史実の解明を求める声があがり、1997〜98年にBISが史料の公開に応じて謝罪と補償に踏み切りました。補償額やBISの釈明については批判もありましたが、この問題解決の試みのなかから史料公開が飛躍的に進んだことは事実でしょう。
この問題は、第二次大戦の末期にアメリカがBISを敵性機関に認定して資産を凍結し、1944年のブレトンウッズ会議ではBISの清算が決議されるところまで行きましたが、本書でもふれたように戦後まもなく、中央銀行のネットワークが動きだしてBISは清算を免れました。このように第二次大戦中の金問題はBIS史を貫く「黒歴史」だったわけです。
(編集者)ありがとうございました。第1回目のインタビューはここまでとして、次回は具体的に日本がどのようにBISと関わっていたのか、BISが夢見た金融ユートピア思想とはどういうものなのか、それに携わった人物などを詳しくお聞きしていきます。と同時に、先生が現在のBISに対する期待などもお聞きしていきます。


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