■連載 FRBの歴史を知るならこれだ!5/5

インタビュー記事

    
図書の詳細 6

小谷野俊夫・静岡県立大学名誉教授へのインタヴュー 5/5
第5回「本書が現代に問いかけるもの――日本への示唆」

 これまで4回にわたって、『FRB・連邦準備制度の歴史1913〜1951年』の内容を、「中央銀行の独立性」と「中央銀行の無謬性」という二つの視座からみてきました。最終回の今回は、本書が現代の日本に対してどのような示唆を与えるのかについて伺います。

改めて、トランプ大統領のFRB介入を歴史的文脈の中でどう位置づけられますか

小谷野――トランプ大統領の行為は、1951年の財務省-連邦準備制度アコード以来、約70年間守られてきた規範を破るものです。アコード以降も、歴代大統領が連邦準備制度に不満を持つことはありました。しかし、公の場で繰り返し議長を批判し、理事の罷免まで示唆するようなことはありませんでした。
 本書を読めば、中央銀行の独立性がいかに脆いものか、そしてそれを守るためにどれほどの努力が必要であったかがわかります。1940年代後半、連邦準備制度の指導者たちは、財務省との激しい対立のなかで、専門的な論拠を示しながら粘り強く独立性の回復を訴え続けました。
 トランプ大統領の介入は、こうして築かれてきた規範を軽視するものです。そして、一度規範が破られると、それを元に戻すことは容易ではありません。次の大統領、またその次の大統領も、同じように中央銀行に圧力をかけることが「正常」になってしまう危険があります。

2008年のリーマンショックについて、本書はどのような示唆を与えますか

小谷野――本書はリーマンショックに直接言及していませんが、私は次のように考えます。リーマンショックは、統計や金融経済理論が高度に発達した現代においても、中央銀行は重大な誤りを犯しうるということを示しました。これは、大恐慌期の教訓が現代にもそのまま当てはまることを意味します。
 リーマンショック以前、FRBをはじめとする主要国の中央銀行は、「大いなる安定(Great Moderation)」と呼ばれる時期を謳歌していました。インフレは安定し、景気変動も穏やかになり、金融政策は成功していると考えられていました。
 しかし、その背後で金融システムには大きなリスクが蓄積されていました。サブプライムローンを組み込んだ複雑な金融商品が世界中に拡散し、金融機関のバランスシートは見かけ以上に脆弱になっていました。中央銀行は、高度な数理モデルを駆使していたにもかかわらず、この危険を見抜けなかったのです。
 これは大恐慌期と構造的に似ています。1920年代、連邦準備制度の政策担当者たちも、自分たちの政策は適切であると信じていました。彼らが注目していた指標(短期金利や割引率)は問題ないようにみえました。しかし、実際にはマネーサプライが収縮し、金融システムは脆弱化していたのです。
 つまり、中央銀行が注目している指標が本当に適切なのか、つねに問い直す必要があるということです。そして、そのためには、中央銀行の外部からの批判的な検証が不可欠です。

中央銀行の政策を検証することの重要性ですね

小谷野――まさにその通りです。したがって、中央銀行政策当局や金融経済を専門とする学者をはじめとして、ジャーナリスト、評論家などは、つねに金融政策が妥当な目標を設定したのか、それを実現するための政策手段は適切であったのかを問い直していかなければなりません。
 そうした努力を等閑視する中央銀行は、結果として、政府の言いなりとなり、中央銀行の独立性も確保することができなくなるのではないかと危惧されます。これは決して大げさな懸念ではありません。
 大恐慌期の連邦準備制度は、政策の失敗により権威と信認を失い、その結果、ニューディール期以降、財務省の影響力が増大していきました。専門性と信認を失った中央銀行は、独立性を主張する根拠も失うのです。

日本の状況についてはどうお考えですか

小谷野――日本も決して例外ではありません。2013年には、政府が日本銀行法を改正すると脅して、日本銀行に政府とのアコードを結ばせたことがありました。これは形式的には日銀の独立性を尊重したものでしたが、実質的には政府の意向を反映させる手段として機能した面がありました。ですから、アメリカの財務省と連邦準備制度の間で結ばれたアコードとは意味合いが違います。
 さらに、2013年以降の異次元金融緩和については、より慎重な検証が必要です。これは黒田東彦日本銀行総裁のもとで始められた政策で、安倍政権の経済政策(アベノミクス)の「第一の矢」として位置づけられました。
 大規模な国債購入、マイナス金利政策、イールドカーブ・コントロールなど、前例のない政策が次々と導入されました。これらの政策が日本銀行の独立した専門的判断に基づくものであったのか、それとも政治的圧力に応じたものであったのか。そして、その効果と副作用はどうであったのか。冷静な検証が必要です。

異次元金融緩和の何が問題であったのでしょうか

小谷野――いくつかの懸念があります。第一に、日本銀行が大量の国債を保有することで、事実上、財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)を行っているのではないかという疑念です。これは第二次世界大戦中に連邦準備制度が陥った状況に似ています。
 第二に、長期間にわたる超低金利政策が、金融機関の収益を圧迫し、金融システムの健全性を損なっているのではないかという懸念です。また、資産価格の歪みを生んでいる可能性もあります。  
 第三に、出口戦略の困難さです。一度始めた大規模緩和をどのように正常化するのか。急激な引き締めは経済にショックを与えますが、緩和を続ければ副作用が蓄積します。
 そして最も根本的な問題は、こうした政策の効果と副作用について、十分な検証と議論が行われていないことです。日本銀行も政府も、そして多くのエコノミストも、政策の正当化に終始し、批判的な検証を避けてきた面があります。

それは「中央銀行の無謬性」という神話につながりますね

小谷野――まさにその通りです。日本銀行の政策は正しい、専門家の判断だから間違いない、という前提で議論が進められがちです。しかし、本書が示すように、中央銀行も誤りを犯します。そして、その誤りを認めず、検証を怠ることが、さらに大きな問題を引き起こすのです。
 メルツァーが本書で採用した手法(さまざまな立場の見解を紹介し、反対意見も丁寧に検討したうえで、自らの判断を示すこと)は、まさに今日の金融政策論議に必要なアプローチです。
 一つの視点からの正当化ではなく、多様な視点からの批判的検証。これこそが、中央銀行の専門性を高め、ひいてはその独立性を守ることにつながるのです。

独立性と無謬性の関係について、もう一度整理していただけますか

小谷野――中央銀行の独立性と無謬性は、一見すると関係がないように見えますが、実は深く結びついています。
 中央銀行が独立性を主張する根拠は、専門的知識に基づいた適切な政策判断ができるということです。しかし、もし中央銀行が過去の誤りを認めず、政策の検証を怠るならば、その専門性への信頼は失われます。
 専門性への信頼が失われれば、「専門家に任せておけばよい」という独立性の論拠も崩れます。そして、政治家が「専門家も間違えるのだから、政治が介入してもよい」と主張する口実を与えることになります。
 逆に言えば、中央銀行が自らの政策を不断に検証し、誤りがあれば認め、改善していく姿勢を示すことで、真の専門性が確立され、独立性も守られるのです。無謬性の神話を捨てることが、逆説的ですが、中央銀行の権威を高めることになるのです。

本書の記述スタイルも、そうした姿勢を体現していますね

小谷野――その通りです。メルツァーは、連邦準備制度の政策判断を無条件に擁護するのでもなく、一方的に批判するのでもなく、当時の政策担当者たちがどのような情報と理論に基づいて判断したのかを丁寧に再構成し、そのうえで、別の視点や反対意見も紹介し、最終的に自らの評価を示しています。
 これは、E・H・カーがいう「歴史家とその事実の間の相互作用の絶え間ないプロセス」そのものです。そして、読者もまた、メルツァーが提供した豊富な情報をもとに、自ら現在と過去との対話を行うことができます。
 本書は、単に「連邦準備制度はこうだった」という物語を提供するのではなく、読者自身が考え、判断するための材料を提供しているのです。

読者は本書をどのように読むべきでしょうか

小谷野――読者の問題意識や視座は、それぞれ異なるでしょう。金融政策に関心のある方、経済史を研究する方、現代の政治経済を理解したい方、それぞれが異なる読み方をすることができます。
 本書は浩瀚(こうかん)な著作です。約40年間の詳細な歴史が、膨大な資料に基づいて描かれています。すべてを通読することは容易ではないかもしれません。しかし、関心のある時期や問題に焦点を当てて読むこともできます。
 たとえば、大恐慌期の金融政策に関心があれば、その部分を集中的に読む。1951年のアコードに至る過程に関心があれば、1940年代後半の記述を詳しく読む。そうした読み方も可能です。
 重要なのは、本書を単なる過去の記録としてではなく、現在の問題を考えるための素材として読むということです。トランプ大統領のFRB介入、リーマンショック、日本の異次元金融緩和など、現代の問題を念頭に置きながら、過去の経験から何を学べるかを考える。それが、E・H・カーの言う「現在と過去の間の終わりのない対話」です。

先生ご自身は、翻訳作業を通じて何を学ばれましたか

小谷野――多くのことを学びましたが、最も印象深かったのは、歴史の教訓が決して古びないということです。1920年代の政策判断、大恐慌期の失敗、戦時中の独立性の喪失、そして1951年のアコードによる回復。これらはすべて、今日の問題を考える上で重要な示唆を与えてくれます。
 また、制度や政策の背後にいる「人間」の重要性も再認識しました。ベンジャミン・ストロング、マリナー・エクルズ、アラン・スプロールといった個人の判断や行動が、歴史を動かしました。制度だけでなく、それを運用する人物の資質が決定的に重要なのです。
 そして、透明性と説明責任の重要性です。メルツァーがこれほど詳細な歴史を書けたのは、連邦準備制度が議事録や資料を保存していたこと、後世の検証に委ねる姿勢を持っていたからです。この透明性こそが、長期的には中央銀行への信頼を高めることにつながります。

最後に、読者の方々にメッセージをお願いします

小谷野――本書が扱っているテーマは、決して過去の問題ではありません。中央銀行の独立性、金融政策の適切性、そして民主主義と専門性のバランスという問題は、まさに今日、私たちが直面している課題です。
 トランプ大統領のFRB介入は、70年近く守られてきた規範への挑戦です。日本の異次元金融緩和は、その効果と副作用について冷静な検証が必要です。そして、次の金融危機や経済危機が来たとき、私たちはどのように対応すべきか、考えておかなければなりません。
 こうした問題を考える上で、本書は豊富な歴史的経験と、それに対する多角的な視点を提供してくれます。メルツァーが膨大な資料を駆使して再構成した40年間の歴史は、現代を生きる私たちにとって、貴重な「実験室」なのです。
 浩瀚な本書から、さまざまな教訓や示唆を読み取っていただければ、訳者としてこれに勝る喜びはありません。

金融政策の専門家ではない一般の読者にとっても、本書は意味があるでしょうか

小谷野――もちろんです。本書は確かに専門的な内容を含んでいますが、同時に、民主主義社会における制度と権力のあり方を考えるうえで、きわめて示唆的な著作です。
 中央銀行の独立性という問題は、より広くいえば、専門的知識を持つ機関が、民主的に選ばれた政治家からどこまで独立すべきか、という問題です。これは中央銀行だけでなく、裁判所、会計検査院、人事院、あるいは規制機関など、多くの独立機関に共通する課題です。
 専門性を尊重しすぎれば、民主的コントロールが効かなくなります。逆に、政治的コントロールを強めすぎれば、専門性が損なわれ、長期的な視点が失われます。このバランスをどう取るかは、民主主義社会の永遠の課題です。
 本書は、この難しい問題について、具体的な歴史的事例を通じて考える機会を提供してくれます。

本書を読むことで、私たちは未来について何を語れるようになるでしょうか

小谷野――冒頭でE・H・カーの言葉を引用しましたが、「歴史とは、現在と過去の間の終わりのない対話である」という彼の洞察は、未来を見通すうえでも重要です。
 歴史を学ぶことは、過去を知ることだけではありません。過去の経験を通じて、現在を相対化し、未来の選択肢を広げることができるのです。
 たとえば、1951年のアコードがどのようにして成立したかを知ることで、今日、中央銀行の独立性をどう守るべきか、具体的な戦略を考えることができます。大恐慌期の政策の失敗を知ることで、次の危機に際して、同じ過ちを繰り返さないための備えができます。
 歴史は、未来を予測する水晶玉ではありません。しかし、未来について賢明に考えるための羅針盤を与えてくれるのです。

翻訳者として、特に強調したい点はありますか

小谷野――二点あります。第一に、中央銀行の独立性は、一度確立されれば永遠に保証されるものではない、ということです。それは、中央銀行自身の不断の努力、専門性の維持、そして社会からの信頼によって、初めて実質的に守られるものです。
 訳者の懸念が杞憂であることを願うばかりですが、現在、世界各国で中央銀行の独立性に対する挑戦が見られます。これは一時的な現象ではなく、ポピュリズムの台頭、格差の拡大、グローバル化への反発といった、より大きな社会変動の一部です。
 だからこそ、1913年から1951年という、まさに激動の時代における連邦準備制度の経験から学ぶことが、今、重要なのです。
 第二に、批判的検証の重要性です。中央銀行を盲目的に信頼するのでもなく、頭ごなしに批判するのでもなく、その政策を専門的かつ批判的に検証し続けること。これが、中央銀行の専門性を高め、ひいては独立性を守ることにつながります。
 メルツァーが本書で示した姿勢――多様な視点を提示し、証拠に基づいて議論し、自らの立場を明確にする――は、まさに今日の金融政策論議に必要なものです。

最後に、本書の翻訳を終えられた今の率直なお気持ちをお聞かせください

小谷野――正直に言えば、大変な作業でした(笑)。メルツァーの文章は明晰ですが、詳細で、注も膨大です。一つ一つの事実を確認し、専門用語を適切な日本語にし、文脈を損なわないように訳すことは、長い時間と労力を要しました。
 しかし同時に、翻訳作業を通じて、私自身が金融政策と中央銀行の歴史について深く学ぶことができました。そして何より、この重要な著作を日本の読者に紹介できることに、大きな喜びを感じています。
 アラン・メルツァーは2017年に亡くなりましたが、彼が残したこの偉大な業績は、これからも長く読み継がれるでしょう。そして、その日本語版を通じて、日本の読者が現在と過去の対話を行い、未来について考える一助となれば、訳者としてこれに勝る喜びはありません。
 本書は専門書ではありますが、現代を生きる多くの人にとって意義のある著作だと確信しています。ぜひ手に取っていただき、それぞれの問題意識に基づいて読んでいただければと思います。

長時間にわたり、ありがとうございました

 小谷野――こちらこそ、ありがとうございました。本書『FRB・連邦準備制度の歴史1913〜1951年』が、読者の皆様にとって、現在と過去の対話を通じて未来を考えるための、貴重な道標となることを心から願っています。

(第5回・完)

編集部より

小谷野俊夫・静岡県立大学名誉教授が翻訳する「アラン・メルツァー著『連邦準備制度の歴史1913〜1951年』」の邦訳は近日刊行予定です。全5回にわたるこのインタビューが、本書への理解を深め、手に取っていただくきっかけとなれば幸いです。 中央銀行の「独立性」と「無謬性」という二つのテーマを軸に、連邦準備制度の歴史を辿ることで見えてくる現代への示唆、トランプ大統領のFRB介入、リーマンショック、日本の異次元金融緩和といった現代的課題を考えるうえでも、本書は欠かせない歴史的視座を提供してくれる図書ではないかと思い刊行する次第です。

    
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